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アレクサンドル・デュマの『キーンまたは狂気と天才』(1836年初演)の翻訳が完了

翻訳開始から四ヶ月弱かかりましたが、ようやくアレクサンドル・デュマの『キーンまたは狂気と天才』(1836年初演)の翻訳が完了し、本日版元に納品します。

サルトルが翻案した『キーン』(1953年初演)はすでに翻訳がありますが、原作のデュマ版はこれが初訳です。

19世紀前半当時のフランスのロマン派演劇の俳優フレデリック・ルメートルがイギリスの伝説的名優キーンの1833年の死にさいしてキーン自身を演じたいと願い、デュマが完成したのが本作品です。

イギリス皇太子の友人でデンマーク大使夫人を愛するキーン。舞台上でロミオとジュリエットを演じていたキーンは、伯爵の桟敷にいるエレナとプリンスの姿を認め、財産目当てで女優志願のアンナとの強制結婚を目論む悪徳貴族ロード・ミーウィルを罵倒しながら、舞台上で気絶する。さて、キーンの最後はどうなるでしょうか。

最初の写真はパリにあるフレデリック・ルメートルの銅像。次はドリュリー・レイン劇場でハムレットを演じるキーン。

デュマの戯曲『アントニー』のエピソード

 

「俺を拒んだ,だから殺したのだ!」

ーーアントニーの幕切れーー


 アントニーという主人公は、人妻に対する恋という三角関係の設定からゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774年)やルソーの『新エロイーズ』の主人公サン・プルー(1761年)に比較され、主人公の気質の点からユゴーの『エルナニ』(1830年初演)の主人公や『マリオン・ド・ロルム』(1831年初演)のディディエ(彼も私生児である)やヴィニーの『チャッタートン』(1835年初演)の主人公に比較される。ここで、ディドロの「『私生児』についての対話」、ボーマルシェの『真面目なドラマのジャンルについての試論』、スタンダールの『ラシーヌとシェークスピア』、あるいはユゴーの『クロムウェル』序文といったロマン派劇を準備した理論からみて、『アントニー』がどういう位置を占めるか考えてみよう。ディドロが、そしてディドロに倣ならってボーマルシェが、従来の「悲劇」・「喜劇」といった二分法を排して、市民生活に密着した中間的なジャンルの創造を提案したが、ユゴーはその理論を押し進め、その中間的ジャンルのドラマから三一致の法則 1のうち、特に時間と場所の一致を捨てることを提案した。ユゴーは終生韻文劇を捨てなかったが、スタンダールは三一致は勿論のこと、もっと極端に韻文劇そのものの放棄を主張した。ところで、メリメ以来『クロムウェル』(17世紀イギリス)にしろ、『エルナニ』(16世紀スペイン)にしろ、『マリオン・ド・ロルム』(17世紀フランス)にしろ、あるいはデュマの『クリスチーヌ』(17世紀スエーデンその他)にしろ、流行は歴史ドラマではあっても、韻文劇であった。しかし、デュマは大胆にも『エルナニ』に先立つこと一年前、コメディー・フランセーズで『アンリ三世とその宮廷』でスタンダールの主張を舞台に乗せたのである。クールール・ローカル(時代色及び地方色)を散りばめた散文ドラマだったのである。

 アンドレ・モーロワがその『アレクサンドル・デュマ』のなかで書いている話は僕が大好きなエピソードである。アレクサンドル・デュマの作家生涯にはエピソードが満載で、枚挙に暇がない。そのなかでもこの話は演劇というものの本質を表しているような気がして私にはとても気に入ったエピソードの一つになっている。


「アントニイ」の成功は根深く継続的なものであった。パリでは百三十回上演された。サロンの人たちがはじめてボルト・サン・マルタン劇場へ来た。地方では、この芝居はいつまでもマリー・ドルヴァルの当り狂言であった。彼女はこの芝居を愛し、その上演に献身した。ある日ルーアンで、無知な劇場支配人が、アント二イが短剣で刺したところで最後のセリフを待たずに幕をおろしてしまった。怒ったボカージュは自分の部屋へ駈けもどり、閉じこもってしまった。観客は、すでに有名な幕切れを期待していたのにそれが見られなかったので、大声に叫んで抗議しはじめた。人の好いドルヴァルは長椅子の上にまえのポーズをとりなおしたが、ボカージュは両び舞台に上ることを拒んだ。

観衆は「ドルヴァル、ボカージュ、どうした」とどなり、椅子をこわすといきりたっていた。このさわぎにおそれをなして支配人は、ボカージュも折れてくれるだろうと期待しながら再び幕を上げた。観衆はしずまった。マリー・ドルヴァルは何とかしなければならぬと感じた。死んだはずの女は身をおこし、立ち上り、舞台の端まで歩いて、言った。「みなさん、私は彼に抵抗しました……彼が私を殺したのです」そして彼女はうやうやしく一礼して、「雷鳴のようにとどろく大喝采に送られて」舞台からひっこんだ。これが芝居というものなのだ。 2


ボカージュ (1801-1863)

マリー・ドルヴァル(1798-1849)


サン・マルタン劇場(パリ)

Notes:

  1. 三一致の法則とは、「時」「場」「筋」の単一を言い、劇中の時間が1日で、1つの場所で、1つの劇的行為が行われなければならないという劇作上の制約 ↩
  2. アンドレ・モーロワ『アレクサンドル・デュマ』筑摩書房、1971年、85−86頁 ↩

ミシェル・フーコー『狂気の歴史』の序文における誤訳について

まあ、とにかくミシェル・フーコーの日本語訳には誤訳が溢れかえっているので、日本語訳を読んでフーコーが理解できたと言っている人はいったい何を理解したのか聞いてみたいと常々思っていた。今回も重大な間違いを発見して今更ながら驚いた。

「わたしは事物がわれわれから自分を守るために生みだしている幻想を、事物からうばいとろう。そして事物がわれわれに譲り渡している分け前を、事物に残しておこう」田辺淑訳『狂気の歴史』(新潮社、1975年)15頁。

ガリマール書店版からは削られてしまったプロン社版の序文に見られる上の文章はフーコーがルネ・シャールから引用したものだ。昔、この本を読んでいたときにはもちろんプロン版が手に入るはずもなく、ルネ・シャールにも到達できなかったので、原文を当たることができなかった。しかし、今日のインターネット文化のお陰で(ありがたい時代になったものだ)ミシェル・フーコーのプロン社版『狂気の歴史』の序文が見つかった。それによれば、原文は次のようになっている。

«Je retirai aux choses l’illusion qu’elles produisent pour se préserver de nous et leur laissai la part qu’elles nous concèdent.»

これを田辺訳では「わたしは事物がわれわれから自分を守るために生みだしている幻影を、事物からうばいとろう。そして事物がわれわれに譲り渡している分け前を、事物に残しておこう」と、未来のことのように書いている。

もし原文が

Je retirerai aux choses l’illusion qu’elles produisent pour se préserver de nous et leur laisserai la part qu’elles nous concèdent.

と書いているのなら単純未来だが、原文はretiraiであり、laissaiである。フランス語を多少でも勉強した者なら、これが単純過去であることはすぐ分かるだろう。

訳すなら「わたしは物が人間から自分を守るために生みだしている幻想を、物からうばいとった。そして物が人間に譲り渡している分け前を、物に残してやった」とするべきだろう。ここで「われわれ」を「人間」と置き換えたのはフーコーの書きたかったことを考慮したからだ。また、事物は物、幻影は幻想と訳しておいた。illusionは幻想だし、chosesはフーコーの『言葉と物』の物だからだ。

単純過去を見誤ったのは従属文中のproduisentとconcèdentがどちらも直接法現在形なので、主文が単純過去であるはずがないと思い込んだからに違いない。しかし、従属文の時制は不変の事象の場合に現在形を使うのがフランス語文法なので、ここに時制上の矛盾はない。

こういう間違いは読者を惑わす。

 

Bordeaux in 3 days

11月2日から9日まで、フランスはボルドーに出かけることになった。

10日前になったので、そろそろ準備を始めなきゃと思ってAmazonで下調べをしたら、Bordeaux in 3 daysというKindle本がみつかった。Kindle Unlimitedで0円購入して読んだ。あっという間に読める上に観光スポットやレストランなどの情報が手軽に得られて便利だった。350円なら買う気はなかったが、0円はありがたかった。

 

 

sot-l’y-laisseソリレス について

料理のレシピに関しては、最近はスマホのアプリでもたくさん出ていてネットで調べることができるので便利に使っている。七面鳥に関して、クックパッドで調べても良かったが、せっかくパリにいるんだからとアレクサンドル・デュマの『大料理辞典』le Grand Dictionnaire de Cuisineを紐解いた。いや、正確にはiPadでPDFを開いたんだけど。実は、定年退職で研究室から家に引き上げた本が数千冊に及ぶ。定年2年前からブックスキャンのプレミア会員に登録して毎月50冊分のスキャニングをしているが、とても追いつかない。それで、今は自宅で買い込んだスキャニング装置を使ってコツコツとデジタル化している。ブックスキャンで他炊した本の中には、以前研究対象にしていたアレクサンドル・デュマの本もたくさんあって、『大料理辞典』もあった。よせばいいのにその中の七面鳥の項目を調べてみた。この本はレシピ本というよりは美食をめぐる薀蓄うんちく話にあふれていて、七面鳥の項にはこんな逸話が書かれていた。せっかくだから紹介しておこう。


七面鳥の肉は、特に冷たい状態では風味に満ちて鶏肉よりも素晴らしいものだが、世の中にはソリレス(語源的には「馬鹿がそれを残す」の意味)しか絶対に食べない食通がいる。ある日のこと、20年もの間フランスとイギリスに流行というものを教えてきたあの有名なドルセー伯爵の叔父のグリモー・ド・ラ・レニエール 1は、金策で出張中だったが、夜になったか悪天候か何かしらのっぴきならない障害で、美食家は田舎の宿屋に留まらざるを得なかったときに、宿の主人に何か食べるものがないかと尋ねたときであった。
宿の主人は恥と後悔が入り混じったていで食糧倉庫はまるで空っぽでございますといった。
まさに調理場の入り口のガラスの嵌はまった扉の向こうに赤々と燃える台所の火がこの有名な美食家の目に止まった。彼は一本の鉄串に刺さった7羽の七面鳥がくるくる回っているのを驚いて見ていた。
「鉄串に素晴らしい七面鳥がいい具合に焼けているのに、どうして君は夕食に私に食べさせるものはないとなどと言ったんだ?」グリモー・ド・ラ・レニエールは宿の主人に言った。
「それはそのとおりでございますが」と店の主人は言った。「ですがあれはあなた様の前にパリからきなさった紳士が予約されてまして。」
「それでその旦那は1人か?」
「たった1人をございます。」
「じゃあ、その旅の方はよほどの大男とみえる。」
「いえいえ、あなたとどっこいどっこいでございますよ。」
「あー、それならその人の部屋の番号を教えてくれ。1羽ぐらい譲ってもらえなきゃ、よほどは俺はまぬけだということになる。」
グリモー・ド・ラ・レニエールは明かりを点けさせて旅人の部屋に案内させた。客はしつらえられたテーブルの側で、暖かな火を前にして2本の肉切りナイフの刃をシャカシャカとこすりあわせていた。
「おやおや、なんてことだ!間違いないな、あなたは私の息子殿ではないか」とグリモー・ド・ラ・レニエールが叫んだ。
「はいお父様」と、慇懃な身振りでその若者は答えた。
「じゃあ、夕食用に7羽の七面鳥を串焼きにさせているのはあなたなのか?」
「父上」と愛すべき若者は答えた。「あなたは私がこれ程下世話で私の生まれに似つかわしくないセンスを見せているの見てさぞかし耐え難い思いをなさっていることと理解しますが、しかし食べ物に関してこの旅館にはこれしかなく、選択する余地がなかったのです。」
「とんでもない!鶏とりも雉きじもないのだから七面鳥を食べるのを責めたりはしません。旅の途中では見つかるものを食べるしかないのだから。私があなたを責めるとしたら7羽の七面鳥をたった1人で食べるということですよ。」
「父上、トリュフの詰まっていない七面鳥にはsot-l’y-laisseソリレス 2しか本当に食べるべきものはないとあなたが常々友人に言っていたことを聞いておりました。私は14個のsot-l’y-laisseソリレスを食べるために7羽の七面鳥を焼かせたのでございます。
「これは」と、この頭のいい若者への尊敬の念を示すために父親は答えた。「18歳の若者にとって少々高くつきすぎると思うが、無分別とまでは言えない。」
アヴィニョンといえばいつの時代でも美味しいものを食べる町であるが、それはかつてアヴィニョンが法王庁があった時代の伝統のおかげだ。
この町の尊敬すべきある裁判所長は七面鳥を高く評価していた。
かれはあるときこう言った。
「誓って言うが、私達は今、素晴らしい七面鳥を食べた。くちばしにまでトリュフが詰まった見事なもので、鶏のように柔らかく、ズアオホオジロのように脂が乗って、ツグミのように香りが良い。まさに、骨だけ残して全部平らげたよ。」

「何人で?」と詮索好きな男が尋ねた。
「二人だったよ」と彼が答えた。
「二人?…」
「そう、七面鳥と私」
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アレクサンドル・デュマ(父)の『大料理辞典』七面鳥の項から

 

こういう挿話を読みながら、デュマの料理辞典は結局、料理のレシピとしては全く役に立たなかったわけだが、こんなことも旅の楽しみだと言えるかもしれない。

2014年8月10日

Notes:

  1. グリモー・ド・ラ・レニエール Grimod de la Reynière (1758‐1837)は『食通年鑑』(Almanach des gourmands)を発行した有名な美食家の始祖といえる人物。 ↩
  2. sot-l’y-laisseとは読んで字の如し、「愚か者がそれを残す」の意味で、七面鳥(だけでなく、家禽のたぐいにある)の腰骨のくぼみについた肉で、美味とされた部位。 ↩