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『よみがえる時』ー金沢市の姉妹都市ナンシーについて

『よみがえる時』は高浜眞子(実は妻の中田たか子)が2015年のテレビ朝日のシナリオコンクールに応募した作品であるが、残念ながら落選した。

高浜真子は2007年から『泉鏡教授の探偵旅行』をはじめとした探偵小説を書いていた。泉鏡教授の探偵旅行は最初、金沢から始まっていた。

上の画像は『泉鏡教授の探偵旅行』の表紙で、兼六園の徽軫ことじ灯籠とうろう 1の写真である。

泉鏡教授はフランスと関係のある研究をしていたので、金沢とフランスを結びつける映画のストーリーを考えた時、金沢と姉妹都市であるナンシーというフランスの都市との関係を思いついたのである。(落選した時、日本のテレビ局の求めているシナリオは海外ロケを必須とするストーリーは対象外だとわかった。特に最近のテレビは制作費の切り下げの影響もあって、ロケは日本国内に限っている。しかし、これだけ日本人の海外旅行が普及している現在、舞台を日本に限るというのは如何なものか?)

ところで、シナリオはこのようなものだった。

「フランス・ナンシー市に住む六十七歳のソフィーは、四十五年前の日本人の立山たてやま恭助きょうすけとの思い出に生きている。当時、立山は金沢市・ナンシー市姉妹都市提携の準備のために、日本の金沢市から派遣された陶芸作家であり、ソフィーはナンシー派美術館の受付嬢であった。二人はその時恋に落ちたのであった。三年後ナンシーを訪問した立山はソフィーが結婚して仕事をやめたことを知らされた。」(以下、『よみがえる時』を参照)

2017年3月、LIVREPARISでパリに滞在する機会を利用して、行っていなかったナンシーを訪ねることになった。パリ東駅からナンシーまで、TGVで90分程度だから日帰り旅行としては快適な距離だろう。先に書いたように、ナンシーは金沢との姉妹都市提携をしている。ところで、姉妹都市という表現は英語も日本語も同じだが、フランス語では双子都市という言い方をする。僕はどちらかというとこのフランス語の表現が好きだ。 2

それはさておき、ナンシーは美しい街である。世界遺産になっているスタニスラス広場には、市役所、美術館、オペラ劇場が広場を囲んで美しい姿を見せている。

スタニスラス広場

広場と駅を結ぶアンリ・ポワンカレ通りにはアール・ヌーボーの門が美しい商工会議所がある。

ナンシー商工会議所

アール・ヌーボーの門がいかにもナンシー派を表している。

Nancy-ville駅

 

以下にお見せするのはDozoDomoの記事 PROMENADE DE KANAZAWA À NANCY(ナンシーの金沢散歩道)である。ナンシーにおける姉妹都市関係の情報である。 3

最初のフランス語だけ翻訳しておこう。

les villes jumelées
Kanazawa est jumelée avec Nancy depuis 1973. En 1998, pour commémorer les 25 ans du programme d’échange, la ville japonaise a offert une lanterne, aussi appelée Kotoji tôrô, représentative de sa culture, à la ville Lorraine. Cette lanterne, possède une jumelle originale disposée au Kenroku-en, le jardin public de la ville de Kanazawa, considéré comme l’un des plus beaux du Japon. Le Kotoji tôrô, dont la caractéristique est d’avoir des pieds courbes et de longueurs différentes, est l’emblème du Kenroku-en.

「姉妹都市

金沢は1973年からナンシーと姉妹都市となった。1998年、姉妹都市提携25周年を記念して、日本の都市(金沢)はその文化を象徴する徽軫ことじ灯籠という名の灯篭をロレーヌ州の都市(ナンシー)に贈呈した。この灯篭は、日本で最も美しい公園の一つとされる金沢市の公園、兼六園に置かれたオリジナルの双子灯篭となった。二つの長さの違う二本の足をもつ徽軫灯籠は兼六園の紋章である。」

最後は、金沢の近江町市場にあるフレンチ料理店 La Cook Mignon-ラ・クックミニヨン の美人姉妹が実際に行った写真をご本人の了承を得て載せます。

金沢の美人姉妹がナンシーの金沢散歩道プロムナードにある徽軫ことじ灯籠とうろうの前に立つ

Notes:

  1. 琴柱ことじとも書く。琴柱は楽器の琴の糸を支える柱じのことで、琴の胴の上に立てて弦を支え、音を調節する道具。灯篭の姿がその柱に似ていることから名付けられた。 ↩
  2. 金沢とナンシーの姉妹都市の締結について詳細はhttp://www4.city.kanazawa.lg.jp/data/open/cnt/3/11154/6/shimaitoshigaiyou.pdfにあるので、関心のある方はご覧ください。 ↩
  3. このサイトは日仏交流について非常に魅力に富んだ記事を掲載している。 ↩

かなざわ東西主北の題名について

『かなざわ東西主北』は著者としては自信を持って書いた戯曲だったが、第5回 泉鏡花記念金沢戯曲大賞に応募して落選した作品である。こういうコンクールは審査基準や方法が不透明で、入賞作品を見ても全く納得したためしがない。それはさておき、拙著のストーリーはこのページで確認していただくことにして、ここでは題名の由来について書いてみる。

戯曲の舞台は金沢の花街、郭くるわである。金沢の茶屋街は日本全国のなかで京都についで有名になっている。さて、題名の『東西主北とうざいしゅほく』は当然のことだが「東西南北」のもぢり・・・である。郭はいいが、どうして東西南北ではないのか。

実は、金沢の郭は江戸時代から始まるが、東郭ひがしのくるわ(現在はひがし茶屋街Higashi Chaya districtと呼ばれている)、西郭にしのくるわ(にし茶屋街Nishi Chaya District)は比較的早くから栄えていたようだ。

ひがし茶屋街

にし茶屋街

この東・西という方角はもちろん金沢城を中心にした方角で、南が入っていない。城の南側は武家屋敷を中心とした領域で、ここには歓楽街は排除されていたからである。また、物の本によると、北郭は比較的短期間あったとされているが、最終的には東に吸収され、そのかわりのように主計町かずえまちKazuemachi ができたようだ。こうして、今日では東・西・主の3茶屋街が残ったのである。そこで、本の題名を主計町の主(音読みで、シュと読む)をとって東西主北とうざいしゅほくとしたのである。

主計町茶屋街

それにしても、金沢ゆかりの戯曲に遊郭を取り上げたのか。実は、筆者は金沢で生を受けたが、祖母は西郭にしのくるわで芸者置屋おきやを営んでいた。戦前には廃業していたが、作家の島田清次郎とは同じ西郭に縁があったので顔を合わせる機会があっても不思議はない。

祖母は廃業してからは、現在でも鍋料理の名店として繁盛している太郎(上の写真は主計町の太郎)の先々代の女将の兄と結婚して主計町に住んで、三味線と小唄の師匠をしていた。そういう意味で祖母はずっと花街に縁のあった人であった。私の中では金沢といえば生まれてこの方、郭と無縁ではなかったのである。

主計町の芸妓・桃太郎さん 1

Notes:

  1. 僕のtwitter友達 ↩

島田清次郎のこと

弊社出版物『かなざわ東西主北』は金沢の花街に題材を取った戯曲であるが、そのなかの登場人物に島田清次郎がいる。島田清次郎は1899年(明治32年)2月26日 – 1930年(昭和5年)4月29日 わずか31歳でこの世を去った夭折ようせつの天才と言うべき作家であった。三文豪と称される室生犀星、泉鏡花、徳田秋声を始めとして金沢出身(あるいは所縁)の作家や詩人は少なくない。その中で島田清次郎は特異な存在だといえる。

『かなざわ東西主北』のなかで島田清次郎のことを女将と鏡かがみが次のように評している。


女将「島田清次郎さんは最後は精神病院に入れられて病気で死んだってね。吉米楼のところのパネルに書いてあったがね。」

鏡「そうらしいね。統合失調症ということで、今でいう予防拘禁よぼうこうきんということだったんじゃないかな。僕は当時の警察が体良く監獄の代わりにして彼を閉じ込めておいたんじゃないだろうかと思っている。彼は若者の恋愛小説の元祖のように言われていて、映画は大映が作っている。DVDもあるしね。ウィキペディアを見ると、一九六二年にNHKの名古屋放送局でドラマ化したり、金沢の北陸新協という劇団も芝居をやっているらしい。どう言ったらいいんだろう、ある意ニーチェやドストエフスキーを崇拝していたり、ロシア革命に対する共感があったり、われわれのような全共闘世代のハシリなんじゃないかと思う。とにかく、文章を書く能力に関しては天才的だったんだろうね。ただ、どんな若者でも成長するにつれて良くも悪しくも社会性を獲得してバランスがとれてくるものだけど、全共闘運動の中で革命神話にしがみついてどんどん先鋭化していくように、島田清次郎は明治の終わりから大正時代にかけて日本が西欧化する中で育って、革命的なものに傾倒して行く精神構造が出来上がったんじゃないだろうか。当時の文壇はもちろん、もっと国家警察がそういう過激分子の尖兵だった島清に危険な因子を見ていたんじゃないだろうか。のちに映画化したり、テレビドラマにしたのはそういう危険な島清にある種の共感とノスタルジーを感じていた人たちがいたっていうことじゃないかと思うね。」

戯曲の中の回想シーンには島田清次郎本人が登場する。そのなかで島田清次郎は幼馴染の菊乃への淡い恋心を告白する場面があるが、花街育ちだということで強いコンプレックスを隠せない島田と芸者という職業にプライドをもつ菊乃のコントラストが鮮明になる。この菊乃は私の実の祖母がモデルなので、この戯曲は私にとって思い入れの強い作品となっている。

ちなみに、島田清次郎の「地上」は1957年、同名で映画化されている。また、彼の生涯は「涙たたえて微笑せよ-明治の息子・島田清次郎」と題して1995年、NHKで単発ドラマとしてテレビドラマ化されている。


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『地上』

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『地上』は青空文庫を底本にしてEPUB化しました。EPUBファイルはこちらからダウンロードできます。(EPUBファイルはお好きなリーダーでお読みください。ダウンロードして何か問題が生じても当方としては責任を負い兼ねますので、悪しからずご了承ください。)